市内情報
仲井眞弘多知事に感謝する大会に参加して
ご訪問頂き ありがとうございます。
昨夜は同級生モアイ・ラビット会で久しぶりに遅くまで過ごしました。朝は8時よりNPO普天間門前まちづくり期成会の毎月定例のクリーン作業に参加しました。
午後2時からは、宜野湾市民会館にて開催されました「仲井眞弘多知事に感謝する大会」に参加しました。大勢のみなさんが大会に参加され
司会は、我那覇真子さん まず、主催者代表挨拶に 元宜野湾市議会議員の平安座唯雄氏 SACO合意後の今日までの18年間についてお話をされ、昨年の12月に仲井眞知事の英断について感謝を述べられました。
宜野湾市代表挨拶に、佐喜眞淳宜野湾市長が8年前の自身の県議補欠選挙と同時ありました県知事選挙からのお話等。又吉清義県議、安次富修元衆議院議員、来賓挨拶に、宮﨑政久衆議院議員、自民党県連副会長の新垣哲司県議、自民党県連幹事長の照屋守之県議が知事の7年半の実績を紹介されながらは感謝を述べられました。
そして、仲井眞知事ご本人から挨拶を述べられると会場からは大きな拍手が沸き上がり、市民から感謝の花束贈呈がありました。そして、全員で感謝を込めて万歳三唱を行いました。
私も、宜野湾市議会議員として、一人の市民としても仲井眞知事の英断には感謝・感謝です。我々宜野湾市議会も昨年の12月議会の中で、議員提案で「米軍基地普天間飛行場の固定化を許さず即時閉鎖・早期返還の実現に関する意見書」を賛成多数で可決しました。以前にも紹介しましたが、この意見書は「一日も早い普天間飛行場の危険性の除去を図るべく、日米両政府において、あらゆる手段を講ずるよう求めるとともに、同飛行場を固定化せず即時閉鎖し、早期返還するよう強く要請する。あらゆる手段をということがポイントです。
反対に革新系の議員から「普天間基地の県内移設断念と早期閉鎖・撤去に関する意見書は否決されました。この両方の決議は平成25年12月17日宜野湾市議会が決議しました。つまりこの時点で「オール沖縄」ではなくなりました。
宜野湾市民は戦後69年間、そしてSACO合意から18年も普天間飛行場の移設問題に翻弄されております。もし、県内移設反対の県知事が誕生したら、このまま普天間飛行場が固定化という最悪のシナリオにならないか不安と心配です。96年のSACO合意では、5年~7年。その後の日米両政府は2014年に返還でした。これが三度目の正直になって欲しいです。
更に、仲井眞知事が昨年位英断をされたおかげで、KC130輸送機が先行して岩国基地へ移駐できたと思います。本来は、代替施設が完了した後に岩国基地へ移駐でした。ですから、仲井眞知事は現実的に、しっかりと危険性の除去の結果を出していると思います。
記念講演では「沖縄の未来は、日本の未来」として河添恵子氏が講師を務められました。質疑応答もあり大変興味深く思いました。
そもそも建白書なるものは、オスプレイ配備に反対するものが主体でありました。普天間飛行場の県内移設断念は別々にすべきであったと思います。
昨夜は同級生モアイ・ラビット会で久しぶりに遅くまで過ごしました。朝は8時よりNPO普天間門前まちづくり期成会の毎月定例のクリーン作業に参加しました。
午後2時からは、宜野湾市民会館にて開催されました「仲井眞弘多知事に感謝する大会」に参加しました。大勢のみなさんが大会に参加され
司会は、我那覇真子さん まず、主催者代表挨拶に 元宜野湾市議会議員の平安座唯雄氏 SACO合意後の今日までの18年間についてお話をされ、昨年の12月に仲井眞知事の英断について感謝を述べられました。
宜野湾市代表挨拶に、佐喜眞淳宜野湾市長が8年前の自身の県議補欠選挙と同時ありました県知事選挙からのお話等。又吉清義県議、安次富修元衆議院議員、来賓挨拶に、宮﨑政久衆議院議員、自民党県連副会長の新垣哲司県議、自民党県連幹事長の照屋守之県議が知事の7年半の実績を紹介されながらは感謝を述べられました。
そして、仲井眞知事ご本人から挨拶を述べられると会場からは大きな拍手が沸き上がり、市民から感謝の花束贈呈がありました。そして、全員で感謝を込めて万歳三唱を行いました。
私も、宜野湾市議会議員として、一人の市民としても仲井眞知事の英断には感謝・感謝です。我々宜野湾市議会も昨年の12月議会の中で、議員提案で「米軍基地普天間飛行場の固定化を許さず即時閉鎖・早期返還の実現に関する意見書」を賛成多数で可決しました。以前にも紹介しましたが、この意見書は「一日も早い普天間飛行場の危険性の除去を図るべく、日米両政府において、あらゆる手段を講ずるよう求めるとともに、同飛行場を固定化せず即時閉鎖し、早期返還するよう強く要請する。あらゆる手段をということがポイントです。
反対に革新系の議員から「普天間基地の県内移設断念と早期閉鎖・撤去に関する意見書は否決されました。この両方の決議は平成25年12月17日宜野湾市議会が決議しました。つまりこの時点で「オール沖縄」ではなくなりました。
宜野湾市民は戦後69年間、そしてSACO合意から18年も普天間飛行場の移設問題に翻弄されております。もし、県内移設反対の県知事が誕生したら、このまま普天間飛行場が固定化という最悪のシナリオにならないか不安と心配です。96年のSACO合意では、5年~7年。その後の日米両政府は2014年に返還でした。これが三度目の正直になって欲しいです。
更に、仲井眞知事が昨年位英断をされたおかげで、KC130輸送機が先行して岩国基地へ移駐できたと思います。本来は、代替施設が完了した後に岩国基地へ移駐でした。ですから、仲井眞知事は現実的に、しっかりと危険性の除去の結果を出していると思います。
記念講演では「沖縄の未来は、日本の未来」として河添恵子氏が講師を務められました。質疑応答もあり大変興味深く思いました。
そもそも建白書なるものは、オスプレイ配備に反対するものが主体でありました。普天間飛行場の県内移設断念は別々にすべきであったと思います。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。