宜野湾市議 呉屋ヒトシのブログ あなたの声が力になる!

宜野湾市議会の事や市内の様子を中心にご報告。夢のある宜野湾市を目指して頑張ります!

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米軍基地問題

第2回沖縄の基地負担軽減を考える議員有志の会

お越し頂き、ありがとうございます。

去る、7月22日㈯に山口県岩国市にて開催されました「第2回沖縄の基地負担軽減を考える議員有志の会」についてご報告致します。

ご出席されました、地方議員のみなさんは、北は北海道の千歳市議会、恵庭市議会から南は九州、沖縄の市町村議会のみなさん

沖縄県からは、うるま市議会、宜野湾市議会、金武町議会、嘉手納町議会の議員、池田副知事、松川正則宜野湾市長、宮﨑政久代議士

井野防衛副大臣、山口県平屋副知事、岩国市長、山口県議会柳居議長、山口県選出の衆参国会議員、山口県議会議員、

主催者として、代表世話人の山口県岩国市議会、桑原敏幸議長、周防大島町、荒川議長、和木町議会議長、兼本議長、大竹市議会、賀屋議長

町長のみなさん、防衛省、中国四国防衛局職員他、



山口県岩国市議会、桑原敏幸議長


代表世話人のい岩国市議会、桑原敏幸議長の開会挨拶の後、岩国市長、福田良彦市長の挨拶、更に沖縄県池田副知事、宜野湾市。松川正則市長の挨拶と続き、沖縄の現状説明に、宮﨑政久代議士、基調講演で長島昭久代議士の講話

そして、桑原敏幸議長による決議文を読み上げられ、全会一致で決議されました。

有志の会の開催にあたり、代表世話人の桑原敏幸議長を始め、岩国市議会のみなさんが沖縄を訪れ、参加に向けて市町村議会を訪問されました。沖縄の基地負担軽減を真剣に取り組んで頂いていらっしゃることに感謝です。



有志の会意見交換会に挨拶をさせて頂きました。

山口県岩国市議会におかれましては、平成26年6月23日に「沖縄の基地負担軽減を図るための決議」を議会で議決して頂き、普天間飛行場所属のKC-130空中給油機15機を岩国基地へ移駐が実現できました。

有志の会の開催に向けてご尽力頂きました全てのみなさんへ感謝申し上げ、沖縄の基地負担軽減が前へ進むよう、頑張ってまいります。



米軍基地問題

神道政治連盟のみなさんへ普天間飛行場について

お越し頂き ありがとうございます。

昨日は県立高等学校の卒業式でしたね、卒業生のみなさん、保護者のみなさん おめでとうございます。

さて、先日 東京より 神道政治連盟東京本部のみなさんが 宜野湾市へ普天間飛行場についてのお話を聞きにお越しになりました。

私は、宜野湾市全体に占める普天間飛行場や議会を通しての決議等を中心に説明させて頂きました。



また、宜野湾市役所では 佐喜眞市長への表敬訪問と市庁舎屋上より普天間飛行場やパンフレットをみながら担当課長より説明をして頂きました。



市議会の決議としては平成25年12月17日に決議しました意見書「米軍基地普天間飛行場の固定化を許さず 即時閉鎖・早期返還の実現に関する意見書」について。(平成20年にも同様の趣旨の意見書を決議しています)

意見書の結論部分について(意見書より)本市議会は、9万5千人余の市民の尊い生命や財産及び平穏であるべき生活をまもるためにも、一日も早い普天間飛行場の危険性の除去を図るべく、日米両政府において、あらゆる手段を講ずるよう求めるとともに、同飛行場を固定化せず即時閉鎖し、早期返還するよう強く要請する。

同時に議員提案されました「基地建設反対の意見書は」議会では否決されましたことも合わせて説明しました。

また、岩国市、市議会が普天間飛行場所属のKC130大型輸送機15機を昨年移駐を早期に受け入れた事等も説明しました。



今年で、戦後70年、SACO合意から19年経過しても普天間飛行場の危険性は変わらない。「普天間飛行場問題の原点は市街地のど真中に飛行場があり、その周辺には住民が生活している上空を毎日、飛行訓練がなされている。この危険を除去することが原点であると説明させて頂きました。」

参加されたみなさんは 理解をして頂き 宜野湾市を応援しよう!おっしゃって頂いた事に嬉しく思いました。

みなさん ありがとうございました。

米軍基地問題

オスプレイの訓練受け入れ表明群馬県榛東村議員団が宜野湾市へ

お越し頂きありがとうございます。

昨日、27日(火)はムーチの日で、ムーチビーサ 本日も寒くなりましたね。

さて、昨日は午後2時30分に 群馬県榛東村の議員団、副村長さん一行が宜野湾市役所へお越しいただき、ご挨拶と意見交換の機会があり私も絆クラブの一員として参加しました。







参加されたみなさんで記念写真




市役所の後、嘉数高台から普天間飛行場を視察されて、市街地のど真ん中にある現状を再確認して頂きました。

群馬県榛東村議会では、昨年6月議会おいて 日米共同訓練によるオスプレイの訓練受け入れを決議された村、村議会であります。

沖縄のマスコミではあまり報道されていませんが、沖縄県の基地負担軽減に関して感謝申し上げます。

議会においては、反対討論、賛成討論もあり 賛成11、反対2の結果決議されました。

決議書を紹介します。

オスプレイに関する決議


 26年2月28日、相馬原演習場において日米共同訓練が行われた。当初はオスプレイが参加する予定でしたが、米側の都合により見送りとなった。
 訓練を実施するにあたり、オスプレイについては、国から丁寧な説明を受け、国防上の必要性はもとより、安全性及び災害時にも高い能力を発揮すること等の理解が深まり、議会としても日米共同訓練に反対するものではないとしたところである。
 なお、25年11月にフィリピンで発生した大規模な台風被害の救援活動において、米軍のオスプレイが派遣され、支援を展開した。
 また、首都圏直下型地震が万が一発声した場合においても、オスプレイがゆうする高い航空運行能力は、災害救難活動に活用することは極めて有効であり、安心・安全に寄与するものと思われる。
 議会としては、自衛隊と共存共栄するという立場から、国防に協力するという方針であり、沖縄の負担軽減に寄与するならばオスプレイの訓練等を今後も受け入れるとともに、自衛隊のオスプレイ配備については、理解を示すものである。
 なお、オスプレイが配備される際には、村民の安全・安心が守られるなど、十分な配慮をお願いする。
 以上、決議する。

 平成26年6月19日
                                                            榛東村議会

沖縄県の基地負担軽減の表明をして頂いている自治体は以前、ブログで紹介しました、山口県岩国市を先頭にに基地所在地市町村が頑張っています。基地を抱える自治体が同じ基地を抱えている自治体の苦労を知り、全国へ働きかけています。岩国市議会の議長がおっしゃっていた 沖縄県の基地負担の軽減は「オールジャパンで」

米軍基地問題

普天間飛行場所属ヘリ、部品落下事故

お越頂き ありがとうございます。



先週の新聞報道にありました 普天間飛行場所属のヘリAH1Wスーパーコブラが渡名喜村の出砂島射爆撃場近くの会場で訓練中に、重さ109キロのヘルファイアミサイルランチャー、65キロのミサイルポッド、34キロの燃料タンクを落としたことが報じられました。

私は二期、8年間基地関係特別委員会に所属し基地関係の事件事故について議会として抗議を文書などで行ってきました。

普天間飛行場所属へりの落下物にかんする事故も含まれましたが、今回のような落下物の総重量が200キロを超える事項はありませんでした。この射爆撃場は渡嘉敷島からわずか4キロの距離との報道で更に驚きました。

幸い人身に被害がなかったことは、不幸中の幸いでしたが 一歩間違えると大惨事につながります。

へりは装備をして訓練場へ向かいますので、離陸後なら宜野湾市や周辺の市町村への落下事故の恐れもありました。

宜野湾市のど真ん中にある普天間飛行場の一日も早い危険性の除去を実現しなければいけません。

現実的で実行可能な方法を取ることが大事であると思います。

仲井眞前知事が訴えた普天間飛行場の5年以内の閉鎖状態。そして移設後の返還。

私は、移設先においてもできるだけの負担軽減、訓練の分散化を積極的に行う必要があると思います。

米軍基地問題

普天間飛行場の危険除去を言わなくなった人達

ご訪問頂き ありがとうございます。

今週の火曜日から朝のお手振りを8年前と同じ場所で行っています。時には、場所を変えながら頑張ることも

さて、普天間飛行場の問題について戸別訪問している時にも、ヘリコプターが旋回すると会話は全く聞こえませんね。それでけ距離が近いです。


普天間飛行場の問題の原点は危険性の除去であったはずが、今では、危険性の除去について言わなくなった。



7月21日付の新聞記事に、県政野党の県知事候補者選考委員会の「基本姿勢及び組織協定」の内容で、辺野古埋め立て承認について、これまで議論をしていた「承認を撤回し政府に中止を求める」との文言を修正するようです。その理由に当初の一度承認された行政手続きを撤回した場合、政府を相手に訴訟に発展する可能性が高く、野党側からも「過去の行政訴訟からすると厳しい判決が予想される」と懸念する声がある。としている。つまり、本気で承認を撤回できるとは思っていない?

そして、普天間飛行場の県内移設反対だけして、危険除去の為にどうするのか何もなしである。即、閉鎖・返還ができれば誰も苦労しない。
民主党と社民党が政権与党の時代に、視察だけ行って何もやらなかった。あげくの果てには政権を飛び出してしまう無責任な人たちと言われてもしかたがないと思う。

宜野湾市民はいつまで我慢すればいいのか?どういう解決策で実現可能な方法も説明もできない。

政府がKC130の早期移駐やオスプレイの佐賀空港への話がでても批判するしか能がない。批判や反対、投げ出しだけではいつまでも基地問題は解決できないと思います。

また、那覇市にある那覇軍港の浦添市への移設はどうするのか?普天間飛行場の移設はNOだけど、那覇市にある那覇軍港はYES。
基地問題は普天間飛行場だけではありません。万が一にも革新に押されて翁長さんが知事になっても分裂するだけではないでしょうか?

基本的なスタンスが違う革新は独自予定候補者を選考した方がいいのではないでしょうか?

米軍基地問題

KC130輸送機(空中給油機)7月から岩国基地へ

ご訪問頂き ありがとうございます。

今朝の登校はくもり空の中、子どもたちはしっかりと傘を持って登校していました。学校に忘れないでね。

さて、昨日の夕方のニュースで、普天間基地所属のKC130輸送機(空中給油機)が7月から山口県岩国基地へ段階的に移駐する見通しを、岸信夫外務副大臣が伝えたそうです。本日のの新聞にも掲載されてあります。(記事の扱いが小さい)



このKC130の移駐は、当初 普天間飛行場の代替施設が完成後でしたが、代替施設完成前に移駐することが決まりました。6月~9月という話もありましたが、昨日は、岸信夫外務副大臣が山口県庁と岩国市役所を訪れて、15機が7月上旬~8月下旬にかけて。ということで期間が明確になりました。

KC130移駐に必要な格納庫など基地内の整備工事が5月30日に完了だそうです。



岸信夫外務副大臣は、山口県が選挙区の衆議院議員で実兄は、安倍晋三内閣総理大臣です。ご自分の選挙区への早期移駐を実現することは、大きな決断であったと思います。また、山口県知事や岩国市の福田市長の決断へも感謝いたします。

KC130輸送機の岩国基地への移駐は普天間飛行場の危険の除去のひとつにつながったと思います。

普天間飛行場の滑走路は2800メートルあるので、外来機のジェット戦闘機や大型輸送機等も飛来したり、嘉手納基地所属のP3C等がタッチ&ゴー訓練を行いますが、今後は、クリアーゾーンを基地内で納めるように運営して頂き、5年以内の運用停止状態と早期返還の実現を!

米軍基地問題

キャンプ瑞慶覧から出たドラム缶の調査結果

ご訪問頂きありがとうございます。

本日より5月ですね。今年も三分の一が終わりました。
新入社員や新入学生も職場や学校に慣れた頃では?



さて、三月に新聞報道等されましたキャンプ瑞慶覧(宜野湾市地区)海軍病院地域内で埋蔵文化財の発掘調査中に発見されたドラム缶の調査について、我々議会からも調査結果について公表を要請しておりました。

4月22日付の文書で回答が届きました。

調査に関しては民間業者へ依頼し、分析結果(速報値)の報告が沖縄防衛局に4月21日あり、その翌日に「お知らせ」が文書でありました。

1.調査内容
埋蔵物が埋設されていた場所の周辺土壌及び埋蔵物に付着物を採取、ダイオキシン類、PCB、土壌汚染対策法に規定する25項目、農薬類について分析を行いました。

2.調査結果概要
今回の速報値においては「埋蔵物付着物」、及び「埋蔵物底面土壌」について、ダイオキシン類、PCB、土壌汚染対策法に規定する25項目、農薬類等に関する分析を行ったところ、基準値の超過が確認される項目はありませんでした。

また、発見された埋蔵物12個中2個分については、埋蔵物が破損し埋蔵物があった位置を特定できなかったことから、推定される「土置場」における分析を行うこととしました。現在調査中となり追って分析結果が判明することとなっております。

資料には具体的な物質名(ダイオキシン、PCB、ひっ素、等)書かれておりました。ほとんど物質が定量以下を示す「ND」の表示が多かったです。
ダイオキシンについても、埋蔵物付着物基準値「3」に対して結果は「0.0010」から「0.0075」。埋蔵物底面土壌・残土基準値「1000」に対して分析結果は「0.013」から「6.2」の間でした。

沖縄防衛局の担当課にも問い合わせしましたが、基準値を下回る結果から環境には問題ない。ただ、現在も残りの調査中であるため、埋蔵文化財の調査はその後になるそうです。周辺にお住いのみなさも安心できると思います。

長くなりましたが、速報結果をお知らせしました。

米軍基地問題

キャンプ瑞慶覧からドラム缶

ご訪問頂き ありがとうございます。

宜野湾市議会3月定例議会も平成26年度一般会計予算審議も終わり 明日(18日)から一般質問です。

さて、去る3月14日(金)の県内両紙に「キャンプ瑞慶覧の埋蔵文化財発掘現場からドラム缶が12本発見された」のニュースが報道されました。

当日に本会議終了後、急遽、基地関係特別委員会が開かれました。事実確認ということで、基地渉外課と文化課の職員を呼んで事実確認と質疑応答をしました。



この事業は在沖海軍病院の移設に伴い平成19年度から平成25年度まで、緊急発掘調査を行っています。この地域の発掘は平成25年6月25日より開始しており、10月頃にはドラム缶を確認していたが、無臭・無色の為目に見える状況での汚染の有無は確認できず、産業廃棄物との認識で調査をすすめていたそうですが、沖縄市で埋設されたドラム缶よりダイオキシン等が検出された旨の報道を踏まえて、確認する必要があると考えて2月12日に担当課長に報告されたそうです。

正直、信じられないようなことだと思いました。その後、沖縄防衛局へ2月14日に報告。

教育委員会より報告があった、2月12日にドラム缶の周囲をトラロープで囲い、立ち入り禁止に、支援業務を委託している埋蔵文化財サポートシステムにも注意し、作業員へも周知する。とありました。

私は、去る15日(土)の午前に現場へ行ってみました。もちろん提供施設内なので勝手に中に入ることはできませんが、近くから撮影しました。

この件に関しては、沖縄防衛局に対して速やかに調査をし、その結果を公表すること等、要請する予定です。

担当課の対応も危機意識が不足していたと思います。今後は、しっかりとマニアルを整備する等、しっかりと対応すると思います。

米軍基地問題

久しぶりのフエンスクリーン

ご訪問頂き、ありがとうございます。

久しぶりに日曜日の朝、何も行事予定が無いので、久しぶりにフエンスクリーンに参加しました。



午前9時に到着するとすでに沢山のみなさんが作業をスタートしていました。

子どもや市内・市外からの参加者のみなさんで赤、白、黒、黄色のガムテープを剥がしました。

今回の参加者の中には、北海道から来た方や小笠原の村議員の方お二人も参加されました。村議のお二人は別件で来沖されましたが、ある方の勧めで参加されたそうです。


作業が終わり綺麗になりました。

作業が終わり、お二人からお話を聞く機会がありました。小笠原諸島の父島にお住まいで、東京都心までは定期船で25時間かかるそうです。また、急患輸送に関しては、島には空港が無く、自衛隊基地のある硫黄島から3時間、都心の病院へは13時間もかかるそうです。この問題を何とか解決する方法について、いろいろ調査されているそうです。具体的な提案についてもお話を聞くことができました。



普天間飛行場の野嵩ゲートのフエンスにも「貼紙厳禁」の看板がフエンスに掛けられています。

せっかく綺麗にしても暫くすると、また、ガムテープで汚くなります。それを毎日見せられる市民のみなさんはどう思うでしょうか?

米軍基地問題

キャンプ瑞慶覧西普天間地区返還へ

ご訪問頂きありがとうございます。

今年もいよいよ、後一か月となりましたね。寒くなったり、暖かくなったりと健康管理には気をつけたいですね。


平成26年度末(平成27年3月)返還予定のキャンプ瑞慶覧西普天間地区


宜野湾市議会12月定例会は、6日(金)開会です。
宜野湾市にある米軍基地は、普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧、陸軍施設がありますが、キャンプ瑞慶覧西普天間地区は、平成26年度末(平成27年3月)返還予定です。

我々絆クラブでは、8月に沖縄防衛局と11月に地主会との勉強会を行いました。

跡地利用に関しては、メスを使わずにがんを治療する重粒子線台療施設の建設候補地として中間報告に盛り込だとありました。その他にも跡地利用に関して要請等あるそうです。

また、返還前の立ち入りや文化財調査も現実的になってきました。もちろん課題もあります。斜面緑地の跡地利用や現在もある建物にはアスベストが使用されている可能性があるのでその処理も重要です。


インダストリアルコリドール地区南側

同時には返還できない「インダストリアル・コリドー地区」(2024年度又はその後に返還)で特に南側部分(宜野湾市)の返還をできる限り早期に行い、返還跡地利用のモデルになるよう、国、県、市が一生懸命に取り組んでいます。

米軍基地問題

嘉手納基地所属のHH-60救難ヘリの墜落事故

ご訪問頂きありがとうございます。

昨夜のTVニュースで「米軍嘉手納基地所属のHH-60救難ヘリがキャンプハンセン内に墜落した。」ヘリは原型を留めないほどの状態に事故の凄まじさを感じました。また、近くの住宅地まで2Km。周辺にお住まいのみなさんは恐怖だったと思います。


普天間飛行場のフエすティバルで展示されたHH-60救難ヘリ

HH-60の所属は嘉手納基地の空軍ですが年に数回、普天間飛行場でタッチ&ゴーの飛行訓練を見かける事がありました。



HH-60救難ヘリの内部

そのことはこのブログでも紹介をしたことがありました。乗務員4名の内、行方不明者のお一人が亡くなったことが確認された報道がありました。御冥福を祈りたいと思います。

HH-60救難ヘリ乗員のみなさんは今まで沢山の人を救ってこられたと思うだけに残念です。

米軍は嘉手納基地所属の同型ヘリを当分飛行中止を発表しました。

それにしても、この狭い沖縄の住宅地に近い基地の在り方は見直しをしないと危険だと改めて思いました。特に、訓練場等は、全国でもっと分散しないといけないと思います。

米軍基地問題

普天間基地フライトライン・フェスティバル

ご訪問頂き、ありがとうございます。

晴れの日曜日でした、みなさんいかがお過ごしでしたか?

私は、甥っ子夫婦が子どもを連れて帰って来たので食事へ行きました。その後、両親を誘って「普天間基地フライトライン・フェスティバル」へ出かけました。

正直、議員になってからは普天間基地のフェスティバルには消極的で殆ど行っていませんでしたが、今年は久しぶりに出かけました。理由は、MV-22オスプレイを近くで見てみたい。乗ってみたい(飛行はしません)そして、飛行場返還後の跡地利用を考える時、普天間飛行場内に入ってみたいと思いました。

午後3時頃、大山のパイプラインはゲートへ向かう車で渋滞でしたが、ゲートに着くと運転免許書OK


基地内にはいると、日の丸、米国旗、そして国連旗が迎えてくれました。

滑走路から駐機場へ向かうように車で行きました。会場の入口も私の運転免許書のみで全員OK。かばんの中身のチェックはありました。その後、金属探知機で検査し会場内へ(正直簡単な検査だと思いました)

入口にはKC130大型輸送機や空軍の早期警戒管制機AWACS、KC135空中給油機の中やコクピットにも入ることが出来ました。


そして、MV-22オスプレイが2機ありました。最初見た印象はプロペラやローターは大きいが、全体的には想像したより大きくないと思いました。

機内にも入りましたが、やはり広くはありませんでした。両サイドにイス、そして担架。


また、後部ゲートのハッチは短く半分くらいは空いたままの状態かも。CH53-Eの方が全体的に大きかったです。

基地の中に久しぶりに入ると、やはり480ヘクタールは広いと思いました。そして、宜野湾市内が360度見渡せる。宜野湾市の真中に位置することを改めて実感します。また、跡地利用をイメージする時、どうしても基地内入ることは必要だと思います。できたら管制塔から見学できると更にいいと思いました。


フエすティバルには多くの県民が来ています。そして、出店も県民で参加されたみなさんは、飛行機やヘリの見学から機内に入ったり、思い思いに楽しんでいるようでした。


帰る時にある格納庫の横には、今月C5ギャラクシーによって輸送された、CH53E1機、AH1-J4機がありました。
滑走路を横切ると航空機のタイヤ跡がいくつもありました。何処までも延びるような滑走路その先は市街地になります。

子どもの写真も何枚か撮りました。20年後、普天間飛行場が返還され文化財調査も終わり跡地開発がなされ、同じ場所に来た時に昔はここに飛行場があり、写真を撮ったと思いだす時が来ると思います。

米軍基地問題

C5ギャラクシー再び普天間へ

ご訪問頂き、ありがとうございます。

本日、6月7日(金)~24日(月)まで宜野湾市議会6月定例会です。議会の内容や私の一般質問は後日、ご報告致します

さて、今朝(6月7日、午前7時24分頃)普天間飛行場へC5ギャラクシーが再び飛来しました。


キーンという音が次第に大きくなり、10秒以上経過してC5ギャラクシーが視界に現れました。爆音がしてしばらくしてから姿が見えるのでカメラを準備して3Fのベランダから撮影しました。

6月3日(月)の午前にも飛来しており、米海兵隊が部隊配備計画(UDP)でCH53-Eを1機降ろしたとありました。今朝の飛来もヘリを輸送してきたと思います。配備計画では、CH53-Eが4機、AH1W攻撃ヘリが4機という事。

普天間飛行場の危険の除去の為に、現実的に返還できる方法を実施して欲しいです。


FA18フォーネット戦闘機

米軍基地問題

在沖米国海軍病院開院式典と移設までの経緯

ご訪問頂き、ありがとうございます。

本日、5月3日(金)憲法記念日の祝日ですね。朝から憲法について改憲、護憲の立場で各政党関係者や専門家のみなさんが議論するテレビ番組がありました。

去る、4月30日(火)在沖米国海軍病院開院式典に参加しました。1996年SACO合意した、キャンプ桑江からキャンプ瑞慶覧に移設し、一部開業していましたが本格的に開院を祝う式典でした。

厳粛な式典に日米の関係者、行政、商工会、観光協会のみなさんも参加されていました。


在沖米国海軍病院の司令官であり院長の パイアスA.アイラヲ大佐はスピーチで、病院建設に関係されたすべての関係者へ感謝の言葉を述べていました。(英語を同時通訳しているイヤホンを使用して内容を聞きました)


式典は、第三海兵遠征軍の音楽隊が演奏を始め、開式の言葉、公式官到着、国旗掲揚、海軍病院カラーガード、日本国国歌斉唱、米国国歌。。。。


ゲストスピーカーのお話のあと日米関係者でリボンカットが行われました。

式典終了後は、病院内のロビーにて見学をしました。病院内には日本語の表示もありました。日本人研修医のみなさんがいらっしゃることは以前にもブログで紹介しましたが、ご存知の方も多いのではないでしょうか


ロビーで、パイアスA.アイラヲ司令官とお会いしました。以前にも何度かお話をさせて頂いたことがありますが、本当にきさくな方です。

さて、この在沖米国海軍病院が北谷町から宜野湾市へ移設するには、当時の市長や関係者の御苦労があったと思います。

1996年のSACO合意と言えば、普天間飛行場の危険性の除去の為に5年~7年の内に代替地への移設が完了後に返還する。ということは多くの皆さんがご存知ですが、その陰に海軍病院がキャンプ桑江からキャンプ瑞慶覧(普天間地域)への移設についてはあまり報道もされていませんので、ご存知ない方も

1996年(平成8年)SACO合意での宜野湾市への移設。当時の市長はすぐにOKはしません。4年後の2000年7月18日に当時の那覇防衛施設局長あて文書で回答しました。「依頼のありました住宅建設及び海軍病院の移設整備について、当市としては事情やむを得ないと思慮しますが、当該移設整備との実施に当たっては、返還後の跡地利用の支援及び地元の要望事項について特段の配慮をお願い致します。」として苦渋の決断をしました。


写真は2009年、病院の本体の場所を埋蔵文化財調査


移設の場所は戦前、普天間集落や安仁屋集落がありました。合わせて普天満宮や普天満山神宮寺に隣接し、また、埋蔵文化財もありますが、文化財調査によると記録保存のなりました。但し、約3000年前の溝落ち込み遺構が発見され今後の活用にも関心があります。


(写真は、2010年病院本体建設工事)


そのような大切な場所への移設を苦渋の決断として認めたのは、私なりに解釈すると米軍の提供施設から提供施設への移設であったことと、当時は、普天間飛行場が名護市のキャンプシュワーブへの移設を名護市が受け入れ表明してあってので、宜野湾市も苦渋の決断をしたのか?と個人的に思います。あれから17年の月日が経過し宜野湾市には海軍病院が移設し、北谷町のキャンプ桑江南側は返還が見えてきました。しかし、普天間飛行場は未だに宜野湾市にあります。固定化の危機さえあります。

私は、普天間飛行場の危険除去と固定化を防ぐには、名護市にある米軍基地キャンプシュワーブへ移設をする日米合意しかないと思います。

それと、平成12年7月に苦渋の決断をしたときに当時の宜野湾市長は国に対して9つの要望をしております。この要望事項について、私は何度も議会で当時の伊波市長へ国へ要請を行うべきと提言しましたが、彼は、海軍病院移設が反対でそういうことは、一切やりませんでした。

平成24年2月に誕生した、佐喜眞市長はしっかりと当時の要望事項を実現する為に頑張っています。本当に嬉しく思います。
佐喜眞市長の頑張りで、苦渋の決断を受け入れたみなさんが報われると思います。私もその為に頑張ります。

現在、使用されていない普天間側のゲートの再利用。病院内の道路を共同使用し、市道普天間10号(お寺に隣接道路)をスムーズに車を通行させる。普天間地域や市内の商工業者や市民との交流を行い経済の発展に貢献する。そして、急患や難病患者の受入れを可能にする。これらのことをぜひ実現できるように頑張りたいと思います。

米軍基地問題

普天間基地所属のヘリコプター事故に対する抗議行動

ご訪問頂きありがとうございます。

前回投稿の真実の報道「伝えられぬクリーン活動」へ沢山のみなさんに訪問して頂き、また865人の「いいね!」どうもありがとうございました。今回の件をきっかけに多くの皆さんが基地問題やマスコミの報道について関心を持って頂いたことに感謝します。ありがとうございます。

さて、昨日は午前10時より宜野湾市議会臨時議会が開会されました。その中で「米軍ヘリAH-1からの燃料キャップ落下事故」に対する抗議・意見書「米軍CH-53E型ヘリの着陸失敗炎上事故」に対する抗議・意見書について、総員起立により採決されました。


午後1時半より、要請行動として米海兵隊太平洋司令部政務外交部と沖縄防衛局へ議会での抗議・意見書の要請行動を行いました。

AH-1ヘリの燃料キャップ落下事故は4月2日、CH53-Eの韓国での着陸失敗炎上事故は4月16日です。

議会は、2月にも抗議要請行動を行っていますが度重なる事故に関して強い憤りを感じます。

特に、CH53-E型機は、平成16年に沖縄国際大学に墜落炎上したヘリ(CH53-D型)と同機種になるだけに強く抗議しました。要請文の中に、事故原因の徹底究明と対策の公表がなされるまで同型機の飛行を即時中止すること。を沖縄防衛局で、米軍に対して要請するように求めましたが、返答は、「在日米軍は日米安全保障の目的達成を図るものであるから、要請はできない」という趣旨の返答でしたが、私は、日米同盟や日米安全保障条約が大事であれば、その負担を強いられている市民・県民の為にも要請すべきであると苦言を申し上げました。もちろん、決めるのは在日米軍であります。

沖縄防衛局長は、今回の件に関しては誠に遺憾であり、米軍へは原因究明と再発防止を要請したと説明しました。たしかに一生懸命やっていると思いますが、もう少し市民・県民の感情に配慮してもいいと思いました。

在沖米軍の司令部へは抗議要請行動で行く機会がありますが、日米友好のイベント等、普段からの交流することも大事だと思いました。それは、お互いを理解することや信頼関係を築くことで何か解決できる点があるのでは?と思います。

抗議要請の時だけ顔を合わせても何も問題を解決できないのでは?

米軍基地問題

キャンプ瑞慶覧西普天間地区の大規模返還を希望

ご訪問頂きありがとうございます。

本日(4月8日(月))は宜野湾市内4か所の中学校で入学式が行われました。新1年生のみなさんご入学おめでとうございます。

午後からは、基地関係特別委員会、そしてマイスの勉強会でした。

さて、4月5日に発表された在沖米軍基地の嘉手納以南返還について。


宜野湾市は普天間飛行場が2022年度またはその後、キャンプ瑞慶覧西普天間地区が2014年度またはその後とありました。

具体的な数字が出てきたのは評価すべき点ですが、「またはその後」という表現が気になります。

私の自宅からも見えますキャンプ瑞慶覧西普天間地区。当初は平成19年の返還予定でした。地主会からは、返還予定地が国道58号線側と接続できず、一体となった返還を求めています。

今のままの返還では、例えば普天間側から返還地を通って伊佐方面には直接行くことができず、袋小路みたいになってしまします。これを解消するためには、国道58号線に面している「インダストリアル・コリドー」地区の返還を同時か、せめて数年違い位にして欲しい。今回のように返還に10年も差があっては跡地開発にも影響がでると思います。

速やかな返還をお願いしたいものです。

米軍基地問題

米兵による集団強姦致傷事件に対する抗議決議

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本日、10月29日(月)宜野湾市議会臨時議会が開会しました。



議案は、議員提出による「米兵による集団強姦致傷事件に対する抗議決議」です。合わせて意見書も提案されました。総員起立で抗議決議と意見書は決議されました。

すぐに、関係機関へ議長と議会運営委員会で抗議行動へ

事件が報じられた翌日、委員会では所管事務調査へ県外出張、また、先週は別の委員会が県外出張があり、議会運営委員会を経て本日臨時議会となりました。

二度とこのような事件が発生しないように米軍には今まで以上に対応すべきであります。

米軍基地問題

オスプレイ騒音はCH46よりもうるさい。

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体育の日の祝日いかがお過ごしでしょうか?

時折、強い風が吹きますね。台風も発生しているようです。

さて、米軍岩国基地から普天間飛行場へオスプレイが配備され、マスコミでも連日関連ニュースが報道されています。



その中で、10月6日(土)の沖縄タイムの記事に名護市辺野古にある 沖縄工業高等専門学校の校舎付近をオスプレイが通過した際、82.4デシベルの騒音が発生したことが、琉球大学の渡嘉敷健准教授の調査でわかったとあります。ちなみに、2009年同地点で測定したCH46ヘリの最大値は69.9デシベルであったそうです。

また、1日に普天間飛行場へ飛来したオスプレイについて、上大謝名区では、渡嘉敷健准教授の測定では、90.2デシベル。県の公表値も同地区で89.2デシベルであったそうです。

同地区での比較可能なCH46では、83.0デシベルで、オスプレイの方がここでも上回っていることがわかった。

低周波による影響もCH46よりもあるとの報道もありました。

明日、9日は、仲井眞県知事、佐喜眞市長が野田総理に直接訴えることになっています。

アメリカから提供されたデータではなく、沖縄で測定されたデータに基づく抗議や意見を述べることで日米両政府は配備されたオスプレイの影響を真剣に受け止めるべきではないでしょうか?特に日本政府。

米軍基地問題

市民広場の車両を出せます。

ご訪問ありがとうございます。

MV-22オスプレイは、本日も飛行訓練を行っております。我々宜野湾市議会も超党派で、市内のゲートにて抗議行動を行いました。

普天間飛行場である通称「市民広場」通常は、市民の運動の場であったり少年野球のグランド、そして、駐車場としても活用されています。



オスプレイの抗議行動に伴い、保安上の理由で現在は閉鎖されております。ところが、以前より駐車車両があります。目視で7台~8台。一時開門した時に出すことができた利用者もいましすが、まだ、出すことが出来ない方も。

担当の部署に問い合わせたところ、宜野湾市役所の担当部署へ連絡頂き、その後、市役所から普天間基地へ連絡し、開門する時間を車の持ち主に連絡するそうです。

土日、祝日でも市役所の警備員が対応するそうです。

土日、祝日と車を利用する機会があると思いますので、心あたりのある方は、宜野湾市役所まで、ご連絡ください。

宜野湾市役所 098-893-4411(代表)担当課:基地渉外課、総務課官財係、土日、祝日は警備員が対応するそうです。

米軍基地問題

オスプレイ普天間飛行場へ配備

ご訪問ありがとうございます。

台風17号は、各地で被害をもたらしました。復旧は進んでいますでしょうか?

さて、本日 午前11時過ぎに山口県岩国基地に待機中のMV-22オスプレイ6機が普天間飛行場へやってきました。



午前8時に、集合し市役所屋上で次々と離陸してくるオスプレイを確認しました。

住宅密集地域を飛行しないとか、普天間飛行場の地理を見れば守られことはできません!

1996年にSACOで普天間飛行場の返還合意したのは、普天間飛行場の危険性の除去が目的であったはず。

TVニュースで、岩国基地に駐機している6機の内、まだ、テスト飛行していない2機があり、交換する部品が届くのを待っているとの報道がありました。

耐用年数が過ぎたヘリを新しいヘリに交換することは頭では理解できますが、MV-22オスプレイに今、交換することは、理解できません。

オスプレイの危険性、騒音、その他 しっかりと調査・検証し配備の見直しを訴えていくことが、これから大事だと思います。
プロフィール
呉屋等
呉屋等


昭和38年7月生まれ
平成18年初当選現在5期目
議長令和4年~
議会選出監査委員平成30年~令和4年
福祉教育常任委員
議会運営委員
新型コロナウイルス等感染症調査特別委員会委員長
(地域活動)
宜野湾市交通安全指導員
普天間三区審議委員
普天間三区地域支え合い委員
沖縄県立普天間高等学校PTA副会長 (H29~30)
普天間中学校PTA副会長 (H27~28)
普天間第二小学校学校評議委員(H27~30)
普天間第二小学校PTA副会長(H24~25)
学校法人石川学園理事
社会福祉法人輝福祉会理事
NPO法人普天間門前まちづくり期成会理事
沖縄防衛協会青年部
FMぎのわん「ひーとーのお昼前」土曜日午前11時~ 尊敬する人「両親」「坂本龍馬」「本田宗一郎」
好きな歌「夢叶う」「Myself」「芭蕉布」  
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